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旅先三日目

最近どうも角田光代の文章が頭から離れない。もう、一年程前になるだろうか、「情熱大陸」という番組で彼女が特集されていた。その番組で密着取材をしていたスタッフが彼女に番組のために短い文章を書き下ろしてほしいとお願いすると、彼女は直木賞も受賞し多忙をきわめる中いやがりもせずにこの文章を書き下ろした。

「旅先三日目」

旅に出る、見知らぬ町に着く。
 幾度も迷いながら歩きまわり、
 だいたい三日目に、自分がまるごと
 その町に溶けこんでしまったような
 錯覚を抱く。
 体が急に軽くなる。
 仕事も名前も年齢も
 私はなんにも持ち得ない
 持っていたとしても ここでは
 まったくの無用だと気づく。
 それはちっともさみしいことではなくて
 むしろすがすがしい気分である。
 旅から帰ってくると、つい
 何か持っているような気になってしまう。
 仕事、家、友、約束、銀行口座、名前、年齢、
 実際私たちはそうしたものを背負って
 日々よろよろと暮らしていて、
 ひとつでも失うとなんとはなしに不安になる。
 けれど実際のところ、本当には
 私はなんにも持ってないんじゃないか。
 持っている気になっているものすべては
 思いこみとか、一時的に預かっている
 何かなんじゃないか。
 そのことを忘れそうになると、
 私はいつも、あわてて旅にでる。
 旅先三日目のあの
 空っぽな気分を思い出すために。
               角田光代

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